中国ドラマ

【感想】長相思、面白い?★あらすじと感想、私の評価

『長相思』

総合評価:4.7
脚本  :4.8
演出  :4.2
映像  :4.0
主役演技:4.7
音楽  :4.6

2023年後半、最大のヒット作品となった『長相思』。
ファンタジー作品としてはココ数年で一番の良作だったと思っています。それも偏に主演陣の演技力と脚本の賜物かと。
原作が素晴らしいファンタジーなので、よほどの悪改変をしなければ脚本が悪くなることはないと思っていましたが、制作陣営に原作者がいるため、そこのクオリティはしっかり担保しての撮影でしたね。

そしてこのドラマ『長相思』がココまでの大ヒット作と成りえた最大の要因は、壇健次(タン・ジェンツー)演じる相柳のおかげと言える。
「相柳に始まり相柳に終わる」と言っても過言ではないほどに、この相柳という役を見事に演じ切ってみせた壇健次(タン・ジェンツー)には驚きを通り越して溜息が出るほどだった。役どころは男3という、通常のドラマであれば脇役ともなってしまう役だが、そこは演技力に定評のある壇健次(タン・ジェンツー)である。男1、男2よりは出演時間も短くセリフも少ないものの、まるで主演は相柳であると言わんばかりの名演で、視聴者に強烈な印象を残した。
それも、他の役者を食ってしまうような魅せ方ではなく、相柳が画面に映るシーンだけが本当に別世界の息付きを見せるためである。周りの空気を変えてしまう演技なのである。(もはや演技と言ってよいかすら分からないのだが)

もし相柳ではなく、涂山璟をもっと視聴者に愛させたかったのであれば、あれほど上手く、あれほど深く、壇健次に相柳という役を演じさせるべきではなかったし、もしくは壇健次に匹敵する演技力の俳優を涂山璟役に据えるべきだった。
涂山璟を演じた鄧為(ドン・ウェイ)の演技が下手かと言われると決してそんなことはないのだが、壇健次演じる相柳の愛は、表現するという演技の分野において新しい基準を確立し、他の愛の表現を取るに足らないものにしてしまうほどのインパクトがあった。

張晩意(ジャン・ワンイー)や鄧為(ドン・ウェイ)の演技力について。特に張晩意(ジャン・ワンイー)の演技力は以前より格段に上がっていて、迫力ある演技や楊紫(ヤン・ズー)演じる小夭を見つめる瞳も、素晴らしいと感じさせるには十分なほどであるし、鄧為も演技経験が浅いとは思えない程には頑張っていた。鄧為(ドン・ウェイ)は、頑張って演技してるなぁ、と思ってしまったので、やはりまだ経験不足は否めないのかもしれないが。
なんせ今作は壇健次(タン・ジェンツー)が素晴らしすぎた。役の解釈も然り、それを体現できる演技力然り、足先から指先から頭のてっぺんまで、全身で相柳という妖怪を体現してみせているのである。

あっ!楊紫(ヤン・ズー)の演技力について書いてなかった(;^_^A
楊紫(ヤン・ズー)は、大変見事な演技力でしたよ!いつもと変わらないと言えば変わらないですが、そもそも標準が演技力のある女優ではあるので。今回は感情の振り幅が広い役なので更に見応えもあって、母親を間違えて泣きすがるシーンは涙を誘われたし、張晩意(ジャン・ワンイー)を抱きしめて介抱するシーンはまるで聖母のように温かい表情で美しかったです。

男① 瑲玹:小夭との絆が誰よりも深い西炎国皇子

瑲玹(そうげん)/張晩意(ジャン・ワンイー)

 

父母を亡くし、皓翎(ハオリン)国に人質として送られそこで過ごしているが、幼いころに生き別れた従妹の小夭を探し続けている。民を思いやる優しさと、大切なものを守るためには非情にもなれる冷酷さを併せ持つ。人生の目的は西炎国の皇帝になることだが、生きがいは小夭と共に在ることであり、小夭を失うくらいなら皇帝になることも諦められるほどに小夭を大切に想っている。

男② 葉十七:望みは小夭だけという、愚かで心優しい男

葉十七・涂山璟/鄧為(ドン・ウェイ)

 

家督争いで兄から酷い虐待を受け、命を落とす寸前だったところを小夭に助けられる悲運の貴公子。その正体は4大世家の一つ、涂山家の跡継ぎで九尾の子孫でもある。争いごとが嫌いで小夭の傍にいたいという理由で6年もの間、小夭の弟分として共に暮らす。
皇帝ですら機嫌を伺う必要があるほどの勢力を誇る涂山家の跡継ぎという立場を使い、全面的に小夭を助け支える。小夭を心から愛しており、小夭への愛もストレートに表現するが、肝心なところで優柔不断なのが玉に傷、という人物。

男③ 相柳:小夭への無償の愛を捧げ続けるも、隠し続ける妖怪

相柳・防風邶(ファンフォン・ベイ)/檀健次(タン・ジェンツー)

 

世の中で一番恐れられている、9つの命を持つ蛇妖怪。ひょんなことから小夭と知り合い、初めは小夭の血が自分にとっての薬になることから、ただの薬つぼとして小夭を扱っていたが、小夭の侮蔑のない心根と優しさに惹かれ、次第に愛するようになる。9つの命を持つが心は一つしかない妖怪は、そのたった一つの心を小夭に捧げて小夭の望みを叶える。

ネタバレ

シーズン1を見て一番感じたことは、小夭は3人をそれぞれ愛している、ということである。
妹として兄を慕う愛=瑲玹
母親ように息子を思う愛=葉十七・涂山璟
女性として異性を想う愛=相柳・防風邶

どの愛が強いのか、はそれぞれ異なる愛情だから難しい。ただ、夫婦になろうとするのだから正解は相柳・防風邶だと思うのだが、相柳・防風邶は自分への愛を口にしてくれはしない。いつでも離れていきそうな不安すら感じる。だからこそ、小夭は相柳をこれ以上愛してしまうのが恐ろしい。大切なものを失うことの苦しみを、2度と味わいたくないと思っている小夭は、自分を守るために相柳が心に入り込んでくるのが恐ろしく、心に壁を作ってこれ以上相柳が入ってこようとするのを阻んでいるのである。
過去を記録できる手鏡に残している映像は、瑲玹(そうげん)の姿でも無く涂山璟(トウシャンジン)の姿でも無く、相柳の姿だけなのである。その時点で本当に小夭が心から愛しているのは相柳だけなのだろうと視聴者には分かるが、小夭本人は気付かない。

そして相柳は、誰よりも小夭を愛しているが、捨てられないしがらみと恩義のために、小夭と共に生きて行くことはできない上に、戦争でいずれ死ぬこと予測している。小夭が愛する人を失う苦しみを恐れていることを誰よりも深く理解している相柳は、小夭を悲しませないために、小夭から愛されないように皮肉ってみたり時には脅してみたりして、自分の愛を悟られないように、小夭に愛されることがないように振る舞う。そのため、小夭には相柳の気持ちがいまいち理解できないのだ。相柳の表情や視線から、自分を愛しているでは?と伝わってくるのに、それを認めてはくれない相柳に苛立ちを覚え、もしかしたら手に入れられないものを愛してしまうことを、今までのトラウマやその恐ろしさ故に心が拒否してしまう。そのため、本当に愛しているのが誰なのか、小夭は気付けないのである。

涂山璟(トウシャンジン)は、小夭のために全てを手放す覚悟があると公言してくれる。自分を愛しているとはっきり伝えてくれる。小夭はそんな涂山璟に安心感を覚えて、涂山璟を選ぶ。実際、例え涂山璟を失ったとしても、相柳を愛していると認めてしまってから失うほどのダメージは負わないと、心は暗に分かっているのだ。(実際に涂山璟が裏切ったときも、そんなにダメージはなかったし)もちろん涂山璟のことも好きなのだが、相柳を愛するほどは深い愛ではない。だから自己防衛本能もそこまで機能せず、涂山璟を好きになることを恐れるほどではないため、小夭にとっては安全牌なのかもしれない。

実際のところ、涂山璟が本当に小夭を選ぶなら、涂山璟と結ばれたとしても小夭は幸せになれるだろう。相柳もそう思ったからこそ最期は小夭を託すために命をかけて涂山璟を救ったわけだし。だけど小夭が一度死んだときも、涂山璟はすぐに諦めて泣いて一緒に死のうとするだけで、本当に頼りにならなかった…。
相柳は小夭の命をあきらめなかった(瑲玹もだけど)。自分の命を捧げて小夭を救い、37年に渡って自分の命を削って看病し続けた。しかしその理由が愛ゆえなのだと小夭には気付かせないように、あくまで取引のためだと装う。自分がどれほど小夭を愛し、わが身を犠牲にして献身しているかを気付かせないように細心の注意をはらう相柳。
小夭を心の底から愛しているのに、恩讐や自分を信じてくれる兵士の命を捨てることは出来ない不器用で思いやり溢れる一途な妖怪である。自分がいなくなって、涂山璟が頼りにならなくても、小夭が自分の身を守れるようにと最高級の弓を自分からだとは分からないように小夭の手元に渡らせたり、暇つぶしだと嘘をついて小夭に弓を教えたり、小夭に献身的に尽くし続ける相柳。
小夭を選ばないということは即ち自分の心を殺すことであり、自分の命を散らすことだと理解しているが、それでもその道を選ぶしかないため、小夭が自分を愛してしまわないように、小夭をからかってみたり冷たくしたり怖がらせたりもする。
自分が死んだ時に小夭が耐え難い苦しみに苛まれることのないように、愛されないように…。
それでも、少しでも小夭の傍にいたいと思う相柳は、防風邶(ファンフォン・ベイ)の姿で小夭と街を歩き、賭博に興じ、ご飯を一緒に食べて笑い合い、神力の無い小夭が自分を守ることができるように弓を教えながら、束の間の幸せを嚙みしめるのである。

 

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