中国ドラマ

長月輝伝(长月烬明/長月燼明)感想|深い思想と愛が描かれた作品

原題:长月烬明/長月燼明

中国初放送(Youku):2023年4月6日〜2023年5月9日

キャスト(主要出演者):羅雲熙/罗云熙(ロー・ユンシー/レオ・ロー)、白鹿(バイ・ルー)、陳都霊/陈都灵(チェン・ドゥーリン)、鄧為/邓为(ドン・ウェイ)

再生回数(視聴数):中国国内(優酷)での視聴数は200億回超えという超大ヒット!

豆瓣評価(作品の質):約5.6 / 10

観客からの評価は賛否が分かれており、一般的な評価は“やや低め”という結果。


『長月輝伝』を観終えてまず感じたのは、これは人や自然界そのものを愛する人が書いた物語なのかもしれない、ということでした。

物語の根底に流れているのは、陰陽思想、輪廻転生、人間の弱さと強さ。そして「邪に飲み込まれずに、どう生きるか」という問い。

人は弱く、過ちも犯す。それでもなお、愛を失わずに生きる道はあるのか。『長月輝伝』は、その答えを真正面から描こうとしているドラマだと感じました。

その根底にあるのは、やはり「愛」なのでしょう。

素晴らしいテーマと引き換えの「ケバい演出」

ただし、どうしても引っかかってしまう点があります。
それが、演出のケバさです。

血を吐く描写、騒がしい感情表現、仰々しく派手な演出。
中国ドラマ特有の「感情を強く押し出す」表現が、この作品では特に前面に出ていました。

もちろん、それが魅力だと感じる人もいるでしょう。
しかし、静けさや余白、侘び寂び、繊細さを大切にする日本人の感性にとっては、正直なところ少し辛いと感じる場面も少なくありません。

もっと静かに、もっと丁寧に描かれていたなら。
この作品の持つ深い愛と思想は、より強く、より美しく心に届いたのではないか。
そう思わずにはいられませんでした。

深いテーマがあるのに、表現がケバい。
それが『長月輝伝』、そして多くの中国ドラマに共通する、もどかしさなのかもしれません。

萧凛の最期が象徴する「光」

物語終盤で、特に心に残ったのが萧凛の最期です。

澹台燼に寄りかかるその表情は、どこか清らかで、澄み切って見えました。
彼が地上に向けて放った「邪に飲み込まれるな」という言葉。

そして、光の中へと消えていく姿から、
萧凛は再び人間として生まれ変わるのではないか、そんな余韻を感じました。

萧凛は、この物語における純粋な「光」の象徴だったのでしょう。

澹台燼が辿り着いた「闇と光の統合」

一方で、澹台燼は最期に、自らを消すことで地上を救うという選択をします。

それは単なる自己犠牲ではなく、
闇を知り、闇を抱え、それでも光を失わなかった者の到達点だったように思えました。

光だけでは、闇には勝てない。
光だけでは、空洞になってしまう。

澹台燼は、闇と光の両方を携えた存在へと成長していたのではないでしょうか。

金閣寺・銀閣寺、勾玉に重なる陰陽思想

日本的な比喩で言えば、金閣寺を思い出します。

金閣寺の下地は黒く塗られているからこそ、あの金色はより強く輝く。
闇があるからこそ、光は際立つのです。

それは勾玉が示す陰と陽の関係にも似ています。

萧凛が「光」だとするなら、澹台燼は「闇を内包した光」。
『長月輝伝』が描こうとしたのは、闇と光の対立ではなく、統合だったのかもしれません。

まとめ|だからこそ惜しい『長月輝伝』

『長月輝伝』は、非常に深い愛と思想を持ったドラマです。

人間の弱さも、醜さも、それでもなお信じたい希望も、確かに描かれていました。

だからこそ、その「ケバさ」が、より惜しく感じられる。
静かに、丁寧に描かれていたなら、もっと多くの日本人の心に深く刺さったはずです。

それでもなお、観る者に問いを残し、考えさせる力を持った作品であることは間違いありません。

美しい思想があるからこそ、惜しい。
それが『長月輝伝』を観終えた、正直な感想です。

文・我的母亲


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長月輝伝 1話

🔽ドラマPV

ちなみに、挿入歌を歌っているのはドラマ挿入歌ではお馴染みの黃霄雲ですが(あまりに可愛らしい歌手なので、我が家ではオウちゃんと呼んでます)、彼女の声もとても好きです。相変わらず上手いです!

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