「この美しすぎる悪役は誰…?」
「主役より気になってしまう…」
近年の中国ドラマ界で、視聴者にそう言わしめ、物語の本筋とは別の次元で、その心を鷲掴みにしてきた俳優がいます。その名は、劉学義(リウ・シュエイー)。

主な出演作
- 花間令(かかんれい)~Lost in Love~ (2024年)
- 長風渡~運命の糸~ (2023年)
- 少年歌行~Beginning of the Legend~ (2022年)
- 女医 清落(しんらく)~恋愛の処方箋~ (2021年)
- 千古の愛、天上の詩 (2021年)
- 琉璃(るり)~めぐり逢う2人、封じられた愛~ (2020年)
- 天命~白蛇の伝説~ (2018年)
- 龍珠伝 ラストプリンセス (2017年)
- 青雲志 ~天に誓う想い~ (2016年)
長らく「万年二番手」「麗しの当て馬」と称されながらも、その圧倒的な存在感と神がかり的な美貌、そして魂を揺さぶる演技で、作品に忘れがたい爪痕を残し続けてきました。
そして今、彼は満を持して主役という光の当たる場所で、その才能を完全に開花させようとしています。
なぜ彼の演じる悪役は憎めないのか。なぜ私たちは、彼の演じるキャラクターの幸せを願わずにはいられないのか。その答えは、彼の歩んできた道のりと、役柄の奥深さ、そして我々が知る素顔との愛すべきギャップに隠されています。
この記事では、一度ハマったら抜け出せない、深く心地よい「劉学義沼」の全貌を、解き明かしたいと思います!
経歴 - 長き助走の果てに掴んだ光
彼の輝きを理解するためには、まず、決して平坦ではなかった彼の歩みを知る必要があります。
劉学義は1990年、山東省青島市に生まれます。幼い頃から芸術に親しみ、舞踊を学んだ後、中国の俳優養成機関としては最高峰の一つである「中央戯劇学院」の演技科に進学。エリートコースを歩むかのように見えましたが、彼の俳優人生は、長い長い「助走期間」から始まりました。
卒業後、数々のドラマに出演するも、その多くは物語の核心から遠い役柄。しかし、彼はどんな小さな役でも決して手を抜かず、着実に演技の経験を積み重ねていきます。この不遇とも言える時代が、彼の演技に深みと説得力をもたらす、重要な土台となりました。
転機が訪れたのは2020年の大ヒット作『琉璃~めぐり逢う2人、封じられた愛~』です。この作品で彼は、物語の最大の障壁となる柏麟帝君(はくりんていくん)を演じ、その名を一躍轟かせます。
続いて、『千古の愛、天上の詩』では、愛のために三界を敵に回すことも厭わない破天荒な神・天啓(てんけい)を熱演。これらの役で、彼は「主役を喰らう二番手」としての地位を不動のものとしました。
しかし、彼の物語はここで終わりません。長年の助演経験で培った実力は、ついに彼を物語の「中心」へと導きます。ファンタジー武侠ドラマ『少年歌行~Beginning of the Legend~』で演じた妖艶な僧侶・無心(むしん)役は、原作ファンからも「彼こそが実写版・無心」と絶賛の嵐を呼びました。
そして2024年、主演を務めたミステリー時代劇『花間令~Lost in Love~』が大ヒット。眉目秀麗なエリート官僚・潘樾(はんえつ)を演じ、その人気と実力を改めて証明してみせました。長い間、助走を続けてきた彼は、今まさに、誰よりも高く、そして美しく飛翔しているのです。

演技力 - 「美しさ」を凌駕する魂の表現
劉学義の俳優としての最大の武器は、その神々しいまでの美貌を、時に忘れさせるほどの圧倒的な「演技力」にあります。特に、彼が得意とする「善悪の境界線上にいるキャラクター」の造形は、他の追随を許しません。
なぜ彼の「悪役」は憎めないのか?
『琉璃』の柏麟帝君、『千古の愛』の天啓、『長風渡』の洛子商(らくししょう)。彼が演じてきた役の多くは、主人公たちの前に立ちはだかる「悪役」です。しかし、視聴者は彼らを心の底から憎むことができません。なぜなら、劉学義がその行動の裏にある「動機」と「孤独」を、痛いほどに伝えてくるからです。
柏麟帝君が犯した罪は、天界の秩序を守るという「大義」のためでした。天啓の暴走は、愛する人を守りたいという「純粋な想い」からでした。劉学義は、冷酷な表情の奥に微かな苦悩を滲ませ、傲慢な態度の裏に隠された寂しさを瞳で語ります。彼は、キャラクターの行動を「結果」として見せるのではなく、そこに至るまでの「過程」と「感情」を繊細に演じ分けるのです。だからこそ、私たちは彼らの悲しい宿命に涙し、「どうか彼にも救いを」と願わずにはいられなくなるのです。

静と動を操る「目の演技」
彼の演技を語る上で欠かせないのが、雄弁すぎる「目の演技」です。
愛しい人に向ける、蜂蜜のように甘く優しい眼差し。
友とふざけ合う、悪戯っぽい少年のような眼差し。
敵と対峙する、全てを見透かすような鋭い眼差し。
そして、愛する者を失った時の、光を失った絶望の眼差し。
彼はセリフがなくとも、その瞳だけでキャラクターの全ての感情を表現しきってしまいます。『花間令』で見せた、愛する人への信頼と疑惑の間で揺れ動く繊細な目の動きは、多くの視聴者の心を掴みました。
さらに、舞踊で培われたしなやかな身体能力は、優雅な所作やキレのある殺陣(たて)のシーンで存分に活かされています。静かな佇まいから、一気に躍動するアクションまで、その緩急自在な表現力は、彼がトップクラスの俳優であることを証明しています。
彼の人気の高まり方は、非常に興味深い軌跡を辿っています。通常、俳優の人気は主演作のヒットと共に上昇しますが、劉学義は「助演」の立場でありながら、主役を凌ぐほどの熱狂的なファンベースを築き上げてきました。
WeiboなどのSNSでは、彼が登場するシーンの切り抜き動画が爆発的に拡散され、「#劉学義の美貌」「#柏麟帝君に心を乱される」といったハッシュタグがトレンド入りするのは日常茶飯事。
主役カップルの幸せを願いながらも、心のどこかで「劉学義の演じるキャラクターにも幸せになってほしい」と願う視聴者が続出し、「帝君派」「天啓派」といった派閥が生まれるほどでした。
この「主役を喰らう」人気は、彼が満を持して主演を務めるようになると、さらに加速します。
『花間令』のヒットにより、彼は名実ともにお茶の間の人気俳優の仲間入りを果たし、今や彼の次回作は、業界内外から最も注目される作品の一つとなっています。

性格 - 神か仏か、いや、「残念なイケメン」?
さて、ここまで彼の神がかった美貌と、ストイックな俳優としての一面を語ってきましたが、劉学義という沼の本当の恐ろしさは、ここから始まります。役柄のイメージからは到底想像もつかない、彼の「素顔」です。
一言で言うなら、彼は「残念なイケメン」。そのギャップこそが、ファンを惹きつけてやまない最大の魅力なのです。
人気 - 万年二番手から、時代の寵児へ
- 登山を愛しすぎる男
彼のSNSを覗くと、そこには俳優のオーラを完全に消し去り、ジャージ姿で一心不乱に山を登る「近所のお兄さん」がいます。ファンからは「撮影期間より山にいる期間の方が長いのでは?」と心配されるほど、彼は無類の登山好き。頂上で満面の笑みを浮かべる写真からは、彼の飾らない、自然体を愛する人柄が伝わってきます。 - ユーモアedと自虐の達人
インタビューやバラエティ番組では、そのユーモアのセンスが爆発します。自らの「万年二番手」ネタを笑いに変えたり、共演者に的確なツッコミを入れたりと、サービス精神旺盛。ファンからの「どうしてそんなにハンサムなんですか?」という質問に、「両親のおかげ」と真顔で答えるなど、そのお茶目な言動は数知れません。 - 不器用で、あまりにも真っ直ぐ
彼は非常にファン想いですが、その表現方法は少し不器用です。ファンからの応援に対して、飾らない言葉でストレートに感謝を伝える一方、時には率直すぎる物言いで、周囲をハラハラさせることも。しかし、その裏表のない真っ直ぐな性格こそが、彼の人間的な魅力。ファンとの間に壁を作らないその姿勢が、多くの人に愛される理由なのです。
結論:劉学義という、深く温かい沼
三界を統べる帝君の冷徹さも、愛に生きる破天荒な神の情熱も、故郷の山を愛する素朴な青年の笑顔も、その全てが「劉学義」という一人の人間の中に存在しています。
神々しいまでの美貌と、魂を揺さぶる演技力。
長い下積み時代に培われた、揺るぎない実力。
主役を喰らうほどの圧倒的な存在感と、時代の寵児となった現在の輝き。
そして、完璧な役柄のイメージを心地よく裏切る、チャーミングで人間味あふれる素顔。
これら全ての要素が、奇跡のバランスで絡み合い、私たちを「劉学義沼」の奥深くへと引きずり込んでいくのです。
彼の物語は、まだ始まったばかり。これから先、彼はどんな役を生き、どんな新しい顔で私たちを驚かせてくれるのでしょうか。その旅路を共に見届けられることは、今の時代のドラマファンにとって、この上ない喜びと言えるでしょう。
もし、あなたがまだこの深く、温かく、そして最高に楽しい沼の淵に立っているのなら、どうか恐れずに一歩を踏み出してみてください。そこには、あなたの日常を豊かに彩る、忘れられない感動が待っているはずですから。
