何でしょうかね、このドラマ。
演出が〜、とか脚本が〜、とか、いつも偉そうにのたまっている筆者ですが、このドラマに関してはもう、そんな事どうでもいいわ!と思ってしまうくらいに、演者が素晴らしかった!
特に小夭役の楊紫と相柳役、檀健次。いや、張晩意も良かったですよ。その他のキャストももちろん、素晴らしかったです。
が、楊紫と檀健次はヤバかったです。まさしく魂が通ってましたね。
すべてを見終わったあとに、急にこみ上げてきて泣いてしまう…。そんなドラマでした。

総合評価:4.5
脚本 :4.6
演出 :4.1
映像 :4.0
主役演技:4.8
音楽 :4.1
小夭を愛した3人は、それぞれ素晴らしい演技だったのは間違いないのですが、相柳を演じた檀健次にどうしても心が惹かれる理由は、長想思1の時は分からなかったんですが、長想思2を観ていてやっと気付きました。
瑲玹も十七も、小夭と見つめったり小夭への気持ちを表現するシーンでは、確かに愛しい人を見る眼差しになるのですが、それ以外のシーン。
ただ小夭と話しているだけのシーンになると、ん?愛しい人を観る眼差しはどこへ?という感じに普通の目になってしまったり、小夭の近くで別の人と話しているシーンになると、小夭の存在が演技から感じられなくなってしまうんですよね。
ですが相柳は、小夭とたわいない話をしているときも、小夭がどこにいても、いつでも、この上なく愛しい人を見る眼差しで小夭を見ていて、小夭が脇にいても後ろにいても、相柳の立ち居振る舞いから小夭が相柳から見てどこにいるのかが分かるくらい、小夭の方向に気が向いているのが感じられるんですよね。
それが、相柳にとって小夭の存在がどういう存在なのかを物語っていて、心が締め付けられるわけです。

選ばれたのは十七だけど、本当に心を理解していたのは相柳だった
死ぬまで自分のそばにいてくれるという安心感を与えてくれる十七。母親に捨てられたと感じて生きてきた小夭にとって、国や大義よりも小夭を最優先してくれる十七は、伴侶としては最適で、愛する価値のある男性であろうから、その選択は間違ってはいないし、事実愛し愛されて幸せになるはずだし、そうであって欲しい。(そう願って十七との縁を結んだ相柳のためにも)
だけど、苦しい時や寂しい時、悲しい時や嬉しい時に、いつもふと探してしまう、目が追いかけてしまっていたのは、相柳だったんよ。
そして相柳も、本当に小夭が辛い時や誰かを必要としている孤独な時はいつも、小夭の側で小夭を守っていたし、小夭に孤独ではないことを示していた。
小夭にとって、本当に自分の気持ちを理解し寄り添ってくれる人(妖怪だけど)は、実は瑲玹でも十七でもなく、相柳だった。
でも相柳は、小夭との未来をどうしても選べなかった。何百人もの戦友の命を見捨てられなかったし、先に逝った戦友との約束も破れないから。

永遠に失った愛、それがサブタイトルの意味
実際のところ、小夭が母親に捨てられた過去のトラウマを克服するくらい強く、相柳だけを求めていたなら、相柳も小夭を選んだのだろうと思います。でも相柳は、小夭が愛しているのは十七だと思っていた。
だから小夭と十七が結ばれるように影で奔走して、自分がいなくなっても小夭が寂しくないように、危険を排除して小夭の身の安全を整えながら、死ぬ準備をしてたんですよね。
小夭は、本当に愛していたのは相柳だったのに、その愛に全てをかけて飛び込む勇気はなかった。
結果的に、真実自分の孤独を理解し、自分が心から求めた、そして愛してくれた相柳を、永遠に失ってしまったわけです。
それが、このドラマのサブタイトルになっているところが、また深い。
とはいえ、小夭だけが大事で他はどうでもいい十七と結ばれたのは、ハッピーエンドでもある。
相柳のことは、小夭はずっと永遠に消えない痛みとして残るだろうけど、相柳がどれだけ小夭を愛していて、影でどれだけのことを小夭のためにしていたか(小夭のために命を削ったことさえ小夭は知らない)を、小夭は知らないし、今後も知ることはないから、そこも含めて永遠に失ったんだろうな。
小夭のために相柳がしたこと
- 基本的に、小夭が危険なときはいつも助ける
- 基本的に、小夭が一人で悲しんでいるときは傍にいる
- 自分の命を担保に、兄(瑲玹)の蟲虫を取り除いた
- 小夭を最優先に愛することが出来る男(十七)をそばに置く
- 小夭に自分を守る力を与える(弓を教える)
- 自分の命を一つ使って、小夭を生き返らせる
- 小夭が帰る場所を見つけて、与える
- 十七の命を救う
- 蟲虫を解かないと小夭が自分と一緒に死んでしまうので、蟲虫を殺すために自分の命を2つ犠牲にする

惜しみなく愛し尽くした相柳に後悔はない
相柳は、惜しみなく小夭を愛し尽くして死んでいったから、悔いなどなかっただろう。
最期の瞬間まで、相柳は小夭を想って死んでいったし、相柳の魂は小夭に寄り添って行くだろうな、と思えた。
演じた檀健次も、「何の後悔もない。最期まで小夭を愛せて幸せだったし、身体は滅んでも魂は永遠に小夭を愛していく」と語っていたから、本当に愛し尽くした生涯に悔いなどなかっただろう。
とここまで書いて、相柳は主演ではなかったことをふと思い出したけど、タイトルもサブタイトルも、相柳から小夭への想いと、小夭から相柳への想い、なので、うん。確かに出番は瑲玹や十七の方が多かったけど、やっぱり最初から最後まで、このドラマを引っ張っていたのは相柳だったよね。
主演を際立たせてもいたし、名助演だったね。
出演料、男性陣の中では最高額なのも納得。
いやー、相柳は最高だったけど、辛いドラマだったなぁ。
相柳が死んで、300年ずっと相柳との思い出と共に相柳を探し続けている毛球の映像が切なくすぎる。
このドラマは何度見ても泣けるし、檀健次の演技は本当に魂レベルで感動させられます。皆さんもぜひ観てみてください。ただし、ハンカチ必須です。
相柳が愛したのは小夭だけだったし、小夭が心の底から愛していたのも、本当は相柳だけだった。
人は、恋に出会うことは難しくない。けれど本当の意味で、理解という愛に出会うことはほとんどないのである。小夭にとって相柳は、理解そのものだった。だからこそ自分の心を認めてしまうのが恐ろしかった。失ったら今度こそ絶望してしまうから(← 楊紫の解釈らしい)
その思いごと相柳は理解していたから、小夭が悲しまないように、表では悪役に徹してきた。本当は相柳の自己犠牲とも言える愛を、惜しみなく与えられていたことさえ知らない小夭。そして相柳という理解を永遠に失った、だからこのドラマの英題は、「愛を永遠に失った」というわけです。